2018年3月13日火曜日

残念!黒星スタートの琉球FCとの開幕戦 ーー 帯同ドクター「日帰り沖縄 移動記録」ーー

3月10日
・先日の高知龍馬空港→大阪伊丹空港の最終便で大阪入り。伊丹空港は工事中です。


3月11日
・7時30分〜9時50分 
  大阪伊丹空港→約2時間20分→那覇空港



・10時30分〜10時46分
  那覇空港駅→モノレールで16分→牧志駅



・10時57分〜11時57分
  牧志駅前バス停→路線バスで1時間→沖縄県総合運動公園北口


・12時00分〜12時10分
  バス停→徒歩10分→スタジアム


・14時00分〜15時50分 (対 琉球戦)
  試合は3−4で敗戦。キックオフ前に、スタジアム内の全員で、東日本大震災の犠牲に
  なられた方々の鎮魂のために黙祷させて頂きました。


・16時45分〜17時55分
  スタジアム→バスで1時間10分→那覇空港へ

・18時20分〜20時10分
  那覇空港→フライト時間1時間50分→岡山空港
  (那覇と岡山を結ぶフライトがあることを今回初めて知りました。)


・20時30分〜21時00分
  岡山空港→バスで30分→岡山駅


・21時39分〜00時04分
  岡山駅→JRで2時間30分→高知駅



・00時15分〜00時25分 
  高知駅→車で10分→自宅

【総括】
 朝、7時30分に大阪伊丹空港から沖縄へ出発し、高知の自宅に到着が深夜0時25分という、沖縄日帰りの旅でした。帰りの飛行機の中では、原因不明の全身痛に襲われ、苦しかったですが、CAさんに迷惑をかけることもなく、なんとか無事に岡山空港に到着。
 沖縄でのスタジアムに向かう路線バスの中では、ユニホームを着たサポーター数名の方と一緒でした。恐らく遥々富山からいらっしゃったと思われます。有り難いです。

2018年2月25日日曜日

2018年2月の「明けましておめでとうございます」

1−2月の万々クリニックは、高知に帰省中のサッカー選手、プロサッカー選手、龍馬マラソン選手の皆さんなどの診療を中心に、ピョンチャン冬季五輪と同じくくらいのスポーツ医療のドラマがあり、私は心身ともに少々疲労しました。

1月6日 上京。




1月7日 Jリーグチームドクター会(JFAハウス)に出席。スパインボードの重要性とドーピング関連の報告あり。




2月6日 カターレ富山、キャンプに来高(北陸地方が大雪のため遅れて到着)。


2月7日 カターレ富山、高知キャンプ練習開始。


2月12日 高知市で雪。


2月14日 バレンタインデー。


2月18日 龍馬マラソン。

2月25日 カターレ、 高知キャンプ終了。今季は半分近くの選手とスタッフが入れ替わりましたので、キャンプ中に、名前と顔とプレーを何とか記憶。3月11日の開幕戦(アウェイ)に向けて、あとはドクターと言えどもピッチ内外を走れるように体力の準備になります。

2017年2月1日水曜日

カターレ富山、高知(春野)でキャンプイン!

本日、春野に行ってきました。


カターレのチームドクターも、今年で9年目となり、
2009年のJ参入時からのメンバー、スタッフも数名になりました。


今朝、富山をバスで出発し来高したとのこと。
高知県のサッカー関係者の一人としては、有難いことです。

2010年の高知キャンプの時は、当時の南国高知FCと練習試合をしていただいたことが
思い出されます。当時は、カターレはJ2、南国高知FCはJリーグを目指すことを公式表明する前でした。当時のカターレの楚輪監督の高知県サッカー発展へのご配慮もあったと記憶しています。
今季は、チーム初めてのブラジル人選手も獲得しました。
J2へ昇格(戻る)が期待されます。

2017年1月4日水曜日

2017年 ご挨拶

本年の4月で、開業後丸7年となります。15年間は万々クリニックを「走らせよう」との思いで始めたので、半分が過ぎたことになります。早かったですね。


今年は酉年です。サッカー日本代表のシンボルマークの八咫烏に肖って、熊野から八咫烏のダルマに来てもらいました。小津神社の熊手と、ツーショット。


子供の受験の合格祈願のために、「学業成就の神様」である谷秦山先生の墓所で参拝をしてまいりました(高知県香美市にある多くの受験生が参拝に来る史跡です)。


サッカーですが、まずは年末の高校選手権。我ら高知家の明徳は力の差を感じさせられた結果に。ただ、相手もその後は市船を退けた強豪。胸を張って次のステージへ進んで欲しいです。
A代表は、来年のロシアW杯アジア最終予選。まずは3月23日にUAE戦(A)に集中。


カターレ富山は、新監督を迎え、J3も3年目。やはり降格後1年でJ2に復帰しないと、J3リーグはチームが疲弊しますね。今年こそは!




2015年3月25日水曜日

岡山湯郷温泉〜鳥取J3帯同

3月22日のJ3ガイナーレ戦にチームドクターとして帯同してきました。
前日は湯郷(美作)に宿泊。湯郷ベルのチームカラーでいっぱいの町を散策。何と、宿泊先のホテルには、ポルトガル帰りのなでしこのM選手が! サイン、いや握手をしてもらうんだったと後悔。
翌朝、とりぎんスタジアムでチームと合流。高知合宿でサポートした選手も調子が良さそうで何より。
会場の雰囲気はJ2と比べるとメディア関係者(TV)が少ないが、まずまず良い雰囲気。何より有り難いのは、遠く富山からたくさんのサポーターが駆けつけてくれていること。
しかし、試合の方はポゼッション等、試合内容で上回るも、セットプレーやレッドカードで惜敗。J3といっても厳しい。
鳥取から高知まで約4時間の暗〜いドライブとなったことは言うまでもありません。
今度は来月の山口(レノファ)。勝ち点3を!




2015年1月2日金曜日

ナショナルトレセンU−12 四国 帯同

 昨年12月21日〜23日まで、四国の44名の小学5−6年生の選抜サッカー選手と春野合宿をしてきました。いわゆる保健室の先生役です。















 まあ今の小学生のサッカーの上手いこと! 礼儀も正しいです。 一人ぐらいはやんちゃ坊主が居ても良かった?
ノロウィルス対応の嘔吐物処理キットを家内に準備してもらって持参。幸いにも使用することはありませんでした。














JFAからはいつもの医療備品のジュラルミンケース届いていました。内部を少し公開。




























 3日間のトレーニングがメインメニューですが、実はトレーニング以外に意外と非常に時間を費やす行事があるのです。それは「食事」と「メディカルチェック(スポーツ健康診断)」です。そういう意味では帯同医師の役割は大切です。

全スタッフと子供たち全員と一緒に食事します。
食事の内容もチェック。
個人個人の内容もチェックします。



体調が悪かった選手のプレート。注意です。



もうすぐ中学生の学年なので、体幹トレーニングも入れてもらっています。

言葉の理解が大切になってきますね。
女子選手も頑張っています。
 やはり、小学生5、6年生でサッカー選手としての将来が決まると言っても過言ではないでしょう。このときに、左右の足が使えることや、奪うことの癖付けができているか、などがポイントになってきます。ということは、小学1−4年をどう過ごすかが最も重要であることを再認識させられました。小学生の指導を、学年でグループ分けするのではなく、体格や技術力、および将来の希望によってのグループ分けし指導することも必要ではないでしょうか? 

2014年11月2日日曜日

J3への降格決定を受け、皆様へのご挨拶


 11月1日にJ3降格が決定するという残念な結果になりました。まずはこの6年間、カターレ富山のドクター活動を支えて頂いた、関係者の皆さんに感謝を申し上げます。特に、高知県サッカー協会医学委員の方々、万々FCの子供たち、(旧)南国高知FCの選手およびスタッフの皆さん、クリニックの患者さんと職員、そして家族には特別にお世話になりました。
 2009年のJリーグ1年目は楚輪監督の元、香川選手(現ドルトムント)や乾選手(現アイントラハト・フランクフルト)を擁する当時J2だったセレッソ大阪にアウェイで勝利した試合にベンチ入りしていた記憶が鮮明に残っています。2年目のシーズン途中には、監督更迭を経験し、現 安間監督へ。その後のシーズンも下位に低迷をし続け、辛いことも多くありました。最初の頃は選手に叱責されたこともありましたし、サポーターに野次られたこともありました。高知の自宅と試合会場の移動のために深夜バスにも慣れました。早朝に帰高しそのまま診療に入ることも。突然の雷雨でのゲーム中断や、脳震盪の選手が発生しスタジアムに救急車を呼んだ事もありました。
 しかし、チームと離れ一人で新幹線で帰っていたときに、サポーターの皆さんが「お疲れ様」と声を掛けてくれたり、シーズンの最終戦では帰りのバスに乗り込む際に「チームドクターを来年もお願いします」と言ってくれたときは嬉しかったことは良い思い出です。
 J2といえども、ピッチレベルでみるそれは、別次元のサッカーです。激しいし速い。月並みですが、富山の選手はいつも頑張っていました。もちろん練習やオフの姿勢なども含め、いろんな意見はあったでしょうが、あのサッカーはすごいです。楚輪監督も安間監督も、人を大切にしてくださる監督だったからこそではないでしょうか。例えば、舩津選手(山形DF)、平野甲斐(セレッソMF)、福田選手(大宮DF)、守田選手(新潟GK)、中嶋選手(FC東京MF・U21代表)などが富山でプレーしてきた選手であることが物語っています。くよくよしていても仕方ありません。1年でJ2へ戻ってくるよう頑張って欲しい。サポーターの皆さんも、叱咤激励をこれからもよろしくお願いしたいと存じます。
 来季の私のサッカー環境はどうなるかわかりませんが、J3降格となり、プロのサッカードクターとしての第1幕が終了しました。お世話になった方々に改めて感謝申し上げます。今後も、Jリーグをベンチから6年間みつめてきた経験を高知県のサッカー振興に何らかの形で役立てていきたいと考えています。下位低迷や監督更迭、また降格という辛い経験だからこそ役に立つのではないかと思います。
 これからも、高知県サッカーとカターレ富山をよろしくお願いします。